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AOKIグループヒストリー3 生活のためのビジネスから社会貢献のためのビジネスへ

中川 綾子 中川 綾子

こんにちは、がんばる社長のサポーター中川綾子(なかがわあやこ)です。長野駅前店のオープンで生活のためのビジネスは終わりました。何のためにビジネスをするのか、そこから誕生したのが、AOKIグループの経営理念です。

目次

  • 経営理念の誕生
  • チェーンストア理論との出会い
  • バラのマーク、長野石堂店

経営理念の誕生

長野駅前店オープンで、「生活のためのビジネス」は終わりました。このオープンの成功を機に、会長と副会長のお二人は、今まで継続してきた学習成果のひとつとして、これまで漠然と考えていた「何のためにビジネスをするのか」ということをまとめ始めました。それはお二人の幼少時からの経験と、ご両親の教え、各種学習会やセミナー、今までの経営から学んだことを集大成したものになりました。それがAOKIグループの経営理念「社会性の追求」「公益性の追求」「公共性の追求」です。

「社会性の追求」:社会性の追求とは、ビジネスそのもので世の中の為になろうということです。つまりたゆまぬ努力の継続により、※より良い商品をよりお値打ちに提供してゆくことです。

・・・創業時、高度成長期を迎えて活気づく時代に、スーツ1着の価格が大卒初任給の月給にも匹敵するという現実がありました。同品質以上のスーツを三分の一の価格で提供し、その結果として、ビジネスマンに日替わりでスーツをお召しいただくことで社会に貢献できないか。その思いから生まれたのが「社会性の追求」です。その後、ファッション事業から事業を拡大するにあたり、※部分を、顧客満足を創造し実践してゆくことです、に変更しました。つまりお客様お1人おひとりのお声や時代のニーズ・ウォンツから導きだされる問題を企業課題としてとらえ、それを解決することで世の中のためになり社会に貢献します。

「公益性の追求」:公益性の追求とは、社会性の追求をしたうえでさらに適正利潤を確保し、適正配分することです。つまり、税金等を支払うことにより社会還元してゆくことです。

・・・公益性とは、地域の方々や株主の皆様、そして社員、これらすべての人々がより多くの幸せを得ることです。ビジネスで社会に貢献できることは全力で実施し、その結果、得られるものは全力で得ることです。

「公共性の追求」:公共性の追求とは、ビジネス以外でも世の中の為になる生き方を追求することです。つまり、チャリティーの開催、地域社会発展に寄与する文化活動の推進、あるいは個人として、ボランティアな精神活動に心掛けてゆくことです。

・・・企業として「文化活動に貢献」していくこと、また個人としても、乗り物などでお年寄りや体の不自由な方には率先して席をゆずるなど、「ボランティアな精神活動を行っていく」ことです。ビジネスを継続して行っていける社会に感謝し、少しでも社会全体のためになることを実践しようと努力を続けます。

経営理念も確立以降は、お客様のニーズにお応えし社会貢献することを念頭に、AOKIグループは企業活動を推進していくことになります。

チェーンストア理論との出会い

1966年(昭和41)。篠ノ井駅前店開店の翌年、会長はチェーンストア理論に出会いました。チェーンストア理論を提唱されたのが、ペガサスクラブを主宰されていた渥美俊一先生。日本のチェーンストア理論の第一人者です。ペガサスセミナーは、非常に厳しい指導において、他のビジネスセミナーとは明らかに一線を画しています。このセミナーに参加して、小売業でより大きな社会貢献をするためにはチェーンストア以外に道はないことを学びました。チェーンストアとは、ひとつの資本で11店舗以上を展開する小売業の経営形態です。多店舗展開してスケールメリットを追求することにより、より高品質のものをよりお値打ちにご提供することができる。それを実現するために、標準化・単純化・差別化をすすめる。これが、渥美先生が唱えたチェーンストア理論の骨子です。ペガサスクラブで学んだチェーンストア理論が、その後AOKIグループの経営戦略構築の土台となりました。

1971年(昭和46)に、会長は渥美先生とともにアメリカ一周25日間のセミナーに参加しました。ちょうど長野駅前店で起死回生の闘いを続けていたさなかでした。産業化されたアメリカの小売業。スーパーマーケット、ディスカウントストア、スペシャリティストア・・・・・・など、店舗の見学。企業のトップの自宅も訪問。熱いディスカッションを重ねる中で、会長は日本の流通業をどうしなければならないか、はっきりと理解できたようでした。その実践のスタートは、繁盛店をひとつ作ってからでないとできません。長野駅前店の成功は、絶好のチャンスとなったのです。当時、日本の流通はメーカーから卸へ、卸からお店へ、そしてお客様へと、川上から川下に流れていました。

スーツも例外ではありません。しかも、糸商、機屋、メーカー、縫製工場、問屋、小売商と複雑な仕組みで、それぞれのマージンが積み重なってスーツ一着の値段になっていました。この流れを川下からスタートするのが流通革命です。お客様にもっとも近いAOKIの店で、お客様のニーズを伺い、一年先に売れるであろうスーツを企画し、デザインし、織り、縫い、そしてリスクを持って売り切る。従ってお客様の欲しいものがお値打ちにご提供でき、結果スーツを毎日着替えることができるようになります。

チェーンストア化によって、経済の仕組みを変えることができる。流通革命によって、高値の花だったものがずっと身近でお手頃のものになる。高品質な商品をお値打ちに提供することによって、人々の暮らしに貢献できる。ペガサスクラブで学んだチェーンストア理論は、AOKIの経営理念実現のためにも強力な武器となったのです。

バラのマーク、長野石堂店

長野駅前店の成功を弾みに、スーツのオリジナルブランドの開発に着手したのが1975年(昭和50)。「スーツの流通革命」を目指して、一歩二歩と踏み出していたころです。1967年(昭和42)に開店した長野石堂店の改装を決め、「スーツの流通革命」にかける心意気を示そうと考えました。どこからでも見えるタワーを建て、そこに燃えるような真紅のバラを描きたい。そう思い、バラの広告塔を建てることになりました。バラのマークは、オリジナルスーツ第一号のシンボルでした。真紅のバラはAOKIの情熱の象徴だったのです。オリジナルスーツは既に発注していました。そのスーツを売り切るには、知名度を上げることも必要です。それにはどこからでも目につき、強烈なインパクトを与える広告塔が必要だったのです。4階までのビルの上に、10回分の広告塔を建てて看板にしました。現在と違って、長野には高層ビルがない時代。「いったい何ができるのだろう」、10階分を積み上げる工事中、市民の注目が集まりました。

新装開店当日。朝陽に照らされた真紅のバラが大空にくっきりと浮かび上がりました。真紅のバラの広告塔は、長野市中の評判になりました。しかしスーツをすべて売り切ることはできませんでした。しかしながら、オリジナルブランドへの熱い想いは、真紅のバラのように社員の胸に燃え盛り、今まで以上にオリジナルブランド開発に邁進することになりました。いうなれば、バラの広告塔はその火付け役になったのです。

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中川 綾子

中川 綾子

AOKIグループ 寿本舗株式会社 執行役員社長
1998年、まだ紳士服のAOKIのみだった現AOKIホールディングスに入社。紳士服のAOKI店舗で販売を経験後、ブライダル事業のアニヴェルセル表参道で販促に従事。初めて間近で創業者の青木擴憲(あおき ひろのり)に接したプレゼン中、若気の至りと緊張で周りが静まり返るようなことを発言。それが青木に覚えられるきっかけとなり、本社の広報室へ異動。広報として青木とコミュニケーションを取りながら8年間従事した後、新規事業に携わり現在に至る。
間近で青木擴憲(あおき ひろのり)会長、青木寶久(あおき たかひさ)副会長の話を伺い、叱咤激励をいただいてきたことで、経営者を志すようになった。
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