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AOKIグループヒストリー5 「時代の波は強烈だ」郊外型第1号 長野南高田店の誕生

中川 綾子 中川 綾子

こんにちは、がんばる社長のサポーター中川綾子(なかがわあやこ)です。二万八千着のスーツを発注、「余剰在庫二万着」を経験。あるご住職との出逢いとメーカー様を1軒1軒訪ね、1年間預かっていただくことで危機を脱しました。そして新しい時代の波がやってきたのです。

目次

  • 長野から北陸のドミナントエリア化
  • 新しい時代の波
  • 長野市の郊外南高田
  • 郊外型標準店舗、長野南高田店の誕生

長野から北陸のドミナントエリア化

ドミナント(dominant:支配的な)という用語は、流通業界で「エリア制覇する」との意味あいで使われます。百貨店の「主要ターミナル駅前に1つ」という出店戦略に対し、ドミナントは複数出店。マーケットを「点」ではなく「面」で抑える戦略です。二万八千着のスーツを発注した背景には、ドミナント化の出店を狙ったこともありました。

まずは地元・長野のドミナント化に踏み切り、1973年に、松本市・松本伊勢町店、74年には上田市・上田海野町店、長野市・長野柳町店、ムッシュ・コモ店、78年には松本市・松本駅前店、下諏訪町・下諏訪店と次々に開店していきました。


下諏訪店


上田海野町店

また同時期、長野県の北に位置する北陸エリアにも積極出店。1974年に、富山市・富山一番町店、75年には金沢市・金沢堅町店、77年、金沢市・金沢増泉店、78年、富山市・富山西町店。北陸では地元専門店との競争化で、「2着ならば○円引き」という付加価値を付けて、売上を伸ばしていきました。これらの店舗は、AOKIの知名度を上げ売上に貢献し、その後新しい時代の波の到来とともにその役目を終え、閉店していきました。

 

新しい時代の波

「余剰在庫二万着」の危機から脱した約2年後の1979年、時代は大きく変化していました。会長は、少し前のアメリカ流通セミナーに参加し、そのときの光景が脳裏から離れなかったとのこと。そのころ、アメリカでは、従来繁華街と呼ばれていた所は既にゴーストタウン化していました。その代り、郊外に大規模なショッピングセンターや、専門店ができて、車で次々と消費者が集まり盛況をみせていました。日本もモータリゼーションが一気に進んでいた時代です。車社会のアメリカと同じ現象が日本でも起こるのではないか。日本も、やがて郊外立地が商店街に取って変わる時代がくるのではないか、という漠然とした印象がありました。

その傾向はレストラン業界にすでに現れていました。郊外に、大型の駐車場を併設したファミリーレストランチェーンの出店が相次ぎ、外食産業という新しい産業を形成しつつめざましい成長を遂げ、郊外型レストランで家族揃って食事をするという形ができつつありました。つまりモータリゼーションと商業の郊外立地時代の到来でした。

それを紳士服に当てはめてみると、紳士服を買う人は、土、日しか店に来ることができない。休みの日に車で郊外のファミリーレストランに行って食事をするというライフスタイルが出始めたころでした。多様な郊外型店舗が林立し始めた立地の中で、紳士服に対する需要も高いとの見通しを立てたのです。

 

長野市の郊外南高田

ある日、会長・副会長の良き相談相手の方からのご紹介で、お二人はある土地を見に行きました。そこが長野市郊外の南高田地区でした。南高田は長野市内繁華街から車で15分ほどの場所。当時の南高田地区は、田んぼや畑の限りない自然の中に位置していました。

「果たして本当にいいんだろうか?」確かにアメリカでは、郊外に大きなショッピングセンターができて、活況を帯びていて、その余波は日本にもおよび始めていました。民家が少なく田畑が多い土地に、多くのお客様のご利用を見込んだ大駐車場を持つ大型店をつくる、理論通りだと、大成功間違いなしでした。そう思う一方で、カエルが鳴く郊外にどれだけのお客様がいらっしゃるのか。お二人には迷う気持ちもわずかにあったようですが、即断即決。土地を借りることに決めたのでした。

 

郊外型標準店舗、長野南高田店の誕生

1979年12月5日。会長、副会長はじめ全社員が、早朝から祈るような気持ちで開店を待ちました。長野南高田店の外装は、海底から不死鳥のように蘇る「宇宙戦艦ヤマト」の艦橋を思わせる基本設計でした。その後、郊外型標準店舗の基本設計となる力強いAOKIの姿でした。開店1時間前、お客様が続々とつめかけました。午前9時には、なんと200台分の駐車場が満杯になってしまったのです。寒さを追い払うように鳴り響く御諏訪太鼓。澄み切った青空に天高く打ち上げられた花火、そしてアドバルーン。いよいよ長野南高田店のオープンです。

開店前から並んでいたお客様が、ドアを開けると同時に押し寄せました。どのコーナーも人、人、人。試着室を待つお客様の列。レジカウンターでもまた長い列。店頭のテント村も大賑わい。

開店から終始、お客様の波は絶えることはありませんでした。売上は、1日でなんと2千万円以上。これが時代の流れ。時流に乗れば、追い風の力が後押ししてくれるのです。

低コストで広い売場面積と駐車場を持つことができる郊外店舗。豊富な品揃え、しかも大駐車場。ご家族連れが車でお見えになる、車社会にピッタリの店舗。生活幹線道路沿いの郊外型大型店舗、長野南高田店は、今後のチェーンストア展開における画期的店舗となりました。

150坪で誕生した長野南高田店は、3年後の1982年には450坪に増床しました。(現在も長野市の旗艦店として重要店舗の1つです)。

 

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中川 綾子

中川 綾子

AOKIグループ 寿本舗株式会社 執行役員社長
1998年、まだ紳士服のAOKIのみだった現AOKIホールディングスに入社。紳士服のAOKI店舗で販売を経験後、ブライダル事業のアニヴェルセル表参道で販促に従事。初めて間近で創業者の青木擴憲(あおき ひろのり)に接したプレゼン中、若気の至りと緊張で周りが静まり返るようなことを発言。それが青木に覚えられるきっかけとなり、本社の広報室へ異動。広報として青木とコミュニケーションを取りながら8年間従事した後、新規事業に携わり現在に至る。
間近で青木擴憲(あおき ひろのり)会長、青木寶久(あおき たかひさ)副会長の話を伺い、叱咤激励をいただいてきたことで、経営者を志すようになった。
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