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AOKIグループヒストリー8 アオキファッションからアオキインターナショナルへ

中川 綾子 中川 綾子

こんにちは、がんばる社長のサポーター中川綾子(なかがわあやこ)です。1985年、大きな決断のもと、愛知県一宮へ本社を移転しました。おりしも創業30周年を目前に控え、本社移転とともに社名も変更し次のステップへスタートしました。

目次

  • 社名変更、アオキファッションからアオキインターナショナルへ
  • CIコンセプトの確立
  • 年商1000億円体制に向けて

社名変更、アオキファッションからアオキインターナショナルへ

AOKIは過去の成長の過程で、社名を変更してきました。はじめての店舗、長野の篠ノ井駅前店を開店した1965年(昭和40)に「株式会社洋服の青木」へ、篠ノ井から長野市街地へ進出、長野石堂店を開店した1968年(昭和45)には「株式会社アオキ」に変更。売上高で年間10億円を超えた1976年(昭和51)には「株式会社アオキ」の販売部門を引き継ぎ「アオキファッション販売株式会社」(現株式会社AOKIホールディングス)を設立。神奈川県の海老名店開店により、首都圏への店舗展開が本格化した1980年(昭和55)に「株式会社アオキファッション」に変更しています。

社名を変更する都度、確実にAOKIは成長していきました。社名変更をバネに成長していったともいえるのではないでしょうか。本社を一宮へ移転した1985年(昭和60)当時の社名は「株式会社アオキファッション」。まさにこれから「スーツの流通革命」に向かって、大きく展開する時期でした。これからのグローバルスタンダードを見据え、一宮本社移転を機に、社名を「株式会社アオキインターナショナル」に変更。1985年(昭和60)、10月1日のことでした。1985年8月期(当時の決算月は8月末)の年間売上高は約100億円。これまでの当面の企業目標は、年間売上高100億円を達成することでした。その創業時からの悲願が達成され、いま新たに年間売上高1000億円企業の目標を設定したのです。

この100億円までのAOKIと、1000億円を目指すAOKIとでは心構えが変わってくる。変わらなければいけない。社名変更はそうした心構えを変えるきっかけづくりとなっていき、「ねばならない」という強い気持ちを高めていくためにも必要でした。インターナショナルという言葉は、もうファッションだけにとらわれない、広い分野への進出を意味する。つまり世界に目を向けて、伸びる気持ちを社名に託したのです。AOKIでは社名変更を契機に、広い視野を持って気持ちを切り替えて仕事に従事していこう、1000億円企業に向けてチャレンジしていこう、そんな固い決意も生まれました。

CIコンセプトの確立

社名変更と同時に新しくCI(コーポレート・アイデンティティー)も構築しました。CIコンセプトのテーマは“Challenge & Symphony”(チャレンジ&シンフォニー)。「チャレンジ」とは、文字通り、未来への挑戦。現状に甘んじることなく、チャレンジそのものを「楽しみ」ながら、社会性の追求をはじめとする企業理念の具現化をめざしていくこと。「シンフォニー」とは、さまざまなステークホルダーとの調和。それに向けた組織内の協調。そしてお客さまとの共鳴。高度サービス企業として「ソフト面」を強化していく決意表明でした。

こうしたコンセプトに基づきロゴマークを刷新。アルファベットの「A」にも、漢字の「人」にも見えるこのマークには、成長を期待しつつ、人と人とのふれあいを大切にする、AOKIのそんな姿勢が表現されていました。

年商1000億円体制に向けて

年商1000億円という長期ビジョンを策定したAOKIでは、1988年度(昭和63)、88店舗、売上高300億円、経常利益30億円という中期拡大計画をまずスタートさせました。この計画を実現させるには、「はじめに出店ありき」、ということで店舗開発部を増員し、心機一転をはかりました。

出店拡大、中でも首都圏拡充が最大のポイントでした。それに向けて1985年(昭和60)9月に東京、北青山に50坪の店舗開発の専用開発事務所を開設しました。具体的には3年間で首都圏に50店舗体制を築きあげることだったのです。

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中川 綾子

中川 綾子

AOKIグループ 寿本舗株式会社 執行役員社長
1998年、まだ紳士服のAOKIのみだった現AOKIホールディングスに入社。紳士服のAOKI店舗で販売を経験後、ブライダル事業のアニヴェルセル表参道で販促に従事。初めて間近で創業者の青木擴憲(あおき ひろのり)に接したプレゼン中、若気の至りと緊張で周りが静まり返るようなことを発言。それが青木に覚えられるきっかけとなり、本社の広報室へ異動。広報として青木とコミュニケーションを取りながら8年間従事した後、新規事業に携わり現在に至る。
間近で青木擴憲(あおき ひろのり)会長、青木寶久(あおき たかひさ)副会長の話を伺い、叱咤激励をいただいてきたことで、経営者を志すようになった。
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