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AOKIグループヒストリー9 横浜港北総本店の開店、本社移転

中川 綾子 中川 綾子

こんにちは、がんばる社長のサポーター中川綾子(なかがわあやこ)です。1986年、大きな決断のもと、愛知県一宮へ本社を移転した翌年の1987年は創業29年。年間売上高がはじめて100億円を超えました。愛知県一宮へ本社を移転した成果でした。そして本格的な首都圏展開の時期にきていました。おりしも日本ではバブル全盛期でした。

目次

  • 首都圏本格進出へ向けて
  • 首都圏戦略の旗艦として~横浜港北総本店の開店
  • 一宮からの本社移転

■首都圏本格進出へ向けて

愛知県一宮で、バーティカルマーチャンダイジングの基礎が整いました。「スーツの流通革命」の条件はほぼすべて揃いました。そして将来の成長を考えた時、本格的な首都圏展開を見据えた拠点固めを実行するときがきていました。では何処に拠点を定めるか。

愛知県一宮に本社を移動するのと前後して、東京の北青山に50坪の店舗開発の専用店舗開発事務所を構えました。本音を言えば、最初から都心で本社を構え首都圏への本格進出をしたかったのかもしれません。しかし2度のオイルショックを乗り越え、日本経済は上昇気流に乗っていました。と同時に、その中心である首都圏では人口流入が相次ぎ、土地不足から地価が急騰。いわゆる「土地バブル」が始まろうとしていました。この結果、郊外の宅地開発が加速していました。ではどこを拠点とするか。関東甲信越の大きな地図を壁に貼って、現会長、副会長はその前に椅子を置き、穴のあくほど地図を睨んでいたそうです。

地図の中心は東京。隣の神奈川県には、首都圏郊外型1号店の海老名店や2号店の平塚店もあり、馴染がある。神奈川なら全国からもアクセスしやすく、また横浜は3日住めば浜っこ、と言われるほど開放的な土地柄です。その横浜でも当時の緑区(現都筑区)は、まだ田園風景が豊かでのびのびした雰囲気がありました。新幹線が停まる新横浜駅も近く、東名高速道路、第三京浜と交通アクセスは良い。羽田空港からも近い。しかもこのあたりなら、東京で借りるより費用も少ない上に広い面積の土地を確保できます。次第に新横浜近辺に絞られました。通称港北ニュータウンこそ、あらゆる条件を満たす場所でした。いずれは地下鉄も通り、道路も整備される計画があり、将来性豊かな地域。幸いにも区画整理中で、土地が空いている。さっそく現会長、副会長のお二人は、港北ニュータウンに行き土地探しを開始しました。そして港北ニュータウンの中の一等地、絶好の土地がありました。

■首都圏戦略の旗艦として~横浜港北総本店の開店

横浜港北総本店がオープンしたのは、1986年12月5日(金)です。オープン3日間は大盛況でした。なんと3日間で1億円以上の売上を記録したのです。これは創業以来の記録を大きく塗り替えました。300坪の広い売場と広い駐車場。店舗というよりホールのような売場。オリジナルブランドを中心とした豊富な品揃え。ショッピングの疲れを癒す喫茶ルーム。オープン後の売上も計画の2.5倍の推移で順調そのものでした。

オープン前には、まわりに何もなく、本当にメンズのスーツ専門店にスーツを買いにくる方がいらっしゃるかどうか心配していたし、不安視された方もいらっしゃいました。しかし車で片道30分以内に70万人の対象人口があるといったマーケットスケールの違いを、まざまざと感じた店舗の誕生でした。

■一宮からの本社移転

既に登記上の本社は1986年11月に移転していましたが、横浜港北総本店のオープンから、年が明けて1987年2月。本社機能を一宮からすべて港北に移しました。1階が店舗、2階から4階が本社となりました。一宮で得たメーカーさんとの太いパイプはそのままで、今度は本格的なスーツの流通革命の実現を目指すと同時に、首都圏展開をさらに推し進めることになりました。すでに首都圏展開はスタートしていましたが、港北本社ができてからの店舗展開は目を見張るものがありました。東京都内への進出、千葉・埼玉・北関東へのドミナント出店へと、店舗進出に拍車がかかりました。

横浜に本社を移転したことは、大きく3つのメリットを生むこととなりました。

1.政治・経済・文化は首都圏に集中しています。そのため。スピーディーにいろいろな情報がいちはやく入手できるようになりました。

2.信用力が拡大し、交渉先が広がりました。

3.多くの優秀な人財が入社するようになりました。今までは比較的創業の地である長野、そして北陸出身の社員が多かったのですが、港北本社移転後は首都圏や全国各地の出身者が集まるようになったのです。

そして少しずつ首都圏での知名度が上がっていきました。これと歩調をあわせるように、売上も上昇カーブを描いていきました。すでに1987年時点で紳士服業界において、売上高はベストテンの第10位。郊外型専門店としては第6位になっていました。

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中川 綾子

中川 綾子

AOKIグループ 寿本舗株式会社 執行役員社長
1998年、まだ紳士服のAOKIのみだった現AOKIホールディングスに入社。紳士服のAOKI店舗で販売を経験後、ブライダル事業のアニヴェルセル表参道で販促に従事。初めて間近で創業者の青木擴憲(あおき ひろのり)に接したプレゼン中、若気の至りと緊張で周りが静まり返るようなことを発言。それが青木に覚えられるきっかけとなり、本社の広報室へ異動。広報として青木とコミュニケーションを取りながら8年間従事した後、新規事業に携わり現在に至る。
間近で青木擴憲(あおき ひろのり)会長、青木寶久(あおき たかひさ)副会長の話を伺い、叱咤激励をいただいてきたことで、経営者を志すようになった。
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